ところが、80年代に入ると、モニターを見ながら切れるようになった。それで、ディレクターはいいとこ取りをするようになったわけです。
僕の番組だと83年に始まった「世界まるごとHOWマッチ」がそうですね。あの番組はビートたけしがレギュラーで、彼が放映できないようなことを時々口走るわけです。基本的にたけしにマスクをさせるのはよくないから、自由にしゃべらせようというのが僕のポリシーだった。ビートたけしは天才だから、制約なしにやらせれば面白い。それを後でディレクターが編集するわけです。
でも、僕は、たけしは例外として、あとは生と同じようにやっていたんですよ。例えば、「クイズダービー」は、30分番組で中身が26分だったんですが、絶対に27分しか撮らせなかった。今そういう伝統が残っているのは「徹子の部屋」ぐらいじゃないですか。黒柳さんも僕と同級生だから、あの人もちょんちょん切られるのが嫌なんでしょう。