>>558
足尾台風は暴風域などの規模が小さい豆台風であったが、中心気圧は低く、特に猛烈な風による風害と高潮による水害が著しい。また豪雨による洪水も発生した。風水害は千葉県・茨城県・群馬県・福島県・山形県等にも渡り、死傷者・家屋の損壊・汽車の転覆・煙突の破壊・巨樹の倒壊などの被害が出たとされる。

神奈川県
相模湾では満潮時に当たり、高潮が発生した。また、横浜港では、暴風により、桟橋に停泊中だったドイツ郵船の「プロイセン号」が流され浅瀬に擱座(座礁)、汽船「カーリー号」も防波堤に乗り上げた。その他小型蒸気船や臨時税関の工事船が沈没したという[2]。

栃木県
流失後の神橋跡(1902年)
死者・行方不明者219名、家屋の全壊・流失約8,200戸、足尾で315ミリの雨量を記録した[5]。渡良瀬川が洪水となり、足尾での被害が大きかったことが後にこの台風の名称となった。足尾町内では神子内尋常小学校が流出するなどした[6]。

また、日光中宮祠では土石流が発生。中禅寺湖に流れ込んだ土砂が3mの高波を起こし、旅館などで被害者を出した[7]。この波は華厳滝を越えて大谷川に流れ込み、神橋、大谷橋が流失。憾満ヶ淵の「並び地蔵」も流失した[8]。裏見滝はこの台風がもとで姿を変えたという[7]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%B0%BE%E5%8F%B0%E9%A2%A8#%E8%A2%AB%E5%AE%B3