洪水の被害に泣いた

津軽の文化を育む恵み深い岩木川の流れ。この穏やかな流れも突然荒れ狂い、平和な暮らしを奪い取る洪水となって、人々を襲うこともしばしばでした。
  岩木川は上流部の河床勾配が急で、洪水流出が短時間に集中しやすい特徴があります。それに加え下流部では、河床勾配が緩く洪水が長期化するなど、流域は宿命的な水害に悩まされて来ました。人々は、自然の猛威に敢然と立ち向かい、不屈の精神でその災難を克服してきました。そして、幾度となく繰り返された水との闘いを通して、人々は多くのことを学び、新しい技術や文化を生み出してきたのです。
  岩木川の洪水による被害は、古くは室町期時代永禄10年(1567)から記録され、その数は百数十回にも及んでいます。昭和に入ってからの主な洪水は、昭和10年8月、昭和33年9月等表のとおりですが、特に、昭和50年8月洪水では、岩木川上流の岩木山蔵助沢の鉄砲水により、岩木町百沢部落の22名が犠牲となりました。また、昭和52年8月洪水では、弘前市街の土淵川支川寺沢川が普段の20倍もの川幅となり、沿岸の人家を総なめにし、犠牲者11名を出した大惨事は忘れられません。最近では平成2年9月洪水、9年5月洪水により、家屋や農作物に大きな被害がありました。

昭和10年8月洪水
https://www.thr.mlit.go.jp/aomori/river/material/memoration/fight.html