歴史・文化とのつながり

梯川の流域は、縄文時代から人々の生活が営まれてきた古い歴史を持つ地域です。河口部に位置する安宅にあたっては、古くから海岸沿いの交通の要地であり、源義経が安宅に置かれていた関所で、弁慶の奇智により難を逃れた「勧進帳」の話などはよく知られています。
 また、加賀藩三代藩主前田利常によって築城された小松城は、梯川の蛇行によってつくられた沼地を利用した平城であり、川の水を引き入れた堀の中に8個の島が兵法に従って配置されていました。
 城の面積は、金沢城の倍近い約56万m2に及ぶ広大なものであり、堀が城地の約30%を占めるその様は「小松の浮城」とも呼ばれる類い希な景観を持つ名城でした。

治水事業の歴史のはじまり

梯川の本格的な治水事業の始まりは、明治44年(1911年)~大正12年(1923年)にかけて、屈曲の著しかった小松市街西方の下牧町から鶴ヶ島町間に河口に向けた新しい水路を掘ったことが起こりとなっています。
 昭和9年(1934年)7月10日に、手取川上流で降雨量460mmと平年の55日分の雨が降り、手取川で氾濫した洪水が、手取川左岸から梯川右岸一帯にかけて巨大な湖を作り、大災害が発生しました。その後、昭和43年(1968年)8月の豪雨災害など、幾度の洪水を経て、抜本的な河川改修の必要性が高まり、昭和46年(1971年)に梯川は一級河川に指定されました。>>393

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