姜尚中は通名を永野鉄男というが、早稲田大学在学中に韓国文化研究会に参加し、早大大学院22歳の時1972年(昭和47年)の訪韓を機に通名 永野鉄男を捨てた。
以来、韓国名 姜尚中を使用する。

その後3年間ドイに留学してユダヤ民族の学生と親友になり虐げられる少数民族について語りあったという。

2011年(平成23年)に開催された句会の席上、姜は自らの生い立ちについて「生まれは熊本で本名は永野鉄男です。でも今から三十八年前、二十二歳のときに、思うところがあって姜尚中を名乗りました」[9] と語っている。


そして有名知識人となった姜尚中とドイツの旧友の面会をNHKが企画した。


顔を合わせた友人は叫んだ テツオ!