>>573
ニューミュージックは若者にも広がったから残るよ

今日、「シティポップ」が盛んに取り上げられる大きな切っ掛けとなったのは、2020年10月29日にインドネシアのユーチューバー・Rainychが、1979年の松原みき「真夜中のドア~Stay With Me」のカバー動画をYOUTUBEにアップし[159]、世界的に「シティポップ」が注目されているとネットニュースになり、大きな反響を呼んだ以降であるが[135]、同曲の作曲者・林哲司は、はっきり「80年代の日本に、シティポップなんて言葉はありませんでした」と述べている[135]。松山猛も「シティポップという呼び方はされてなかった」と述べており[137]、「シティポップ」という言葉は、70年代から80年代にあった呼称ではなく、後から生まれてきた言葉で[136]、2022年2月に『「シティポップの基本」がこの100枚でわかる!』という書を刊行した栗本斉は「シティポップという言葉自体(2022年から見て)10数年前に生まれたもの」[160]、「シティポップという言葉自体が後付け」と述べている[161]。