反核や障害を抱えた息子との共生といった重いテーマを追究する小説を書き継ぎ、ノーベル文学賞を受賞した作家の大江健三郎(おおえ・けんざぶろう)さんが3日死去したと講談社が発表した。88歳だった。

愛媛県出身。東大仏文科在学中にデビュー。戦時中、山村に迷い込んだ黒人兵士との交わりを経て成長する少年の姿を描いた「飼育」(1958年)によって、当時最年少の23歳で芥川賞に選ばれた。その後も性や政治を主題とした先鋭的な作品を相次ぎ発表、脚光を浴びた。

63年、長男の光さんが知的障害を持って生まれたことが、ひとつの転機となる。翌年、自身の内面を掘り下げた長編「個人的な体験」を刊行。以降、光さんの存在は多くの作品に通底する大きなテーマとなる。

67年刊行の代表作「万延元年のフットボール」(谷崎潤一郎賞)は60年安保闘争と100年前の四国の一揆を重ね、神話的なふくらみを持つ物語をつくり上げた。外国文学の影響のもとに築き上げた文体は難渋とも評されたが、故郷の谷間の森のイメージと共に大江作品の基調をなしていった。

94年ノーベル賞受賞。翌年完結の「燃え上がる緑の木」3部作を「最後の小説」と位置付けていたが、親友の音楽家、武満徹の死を経て創作を再開。近年は父の死を取り上げた「水死」(2009年)、「晩年様式集」(13年)など自身の分身のような作家が登場する小説をレイトワーク(後期の仕事)として書き続けた。

旧来の価値観が根本から覆された終戦時の衝撃から、「戦後民主主義」に根ざした思想をはぐくんだ。核問題などについても積極的に発言。「ヒロシマ・ノート」「沖縄ノート」など小説以外の著作でも話題を集めた。