共産主義者によるチェコスロヴァキア乗っ取りの危険性

チェコスロヴァキアは、第一次大戦後、パリ講和会議によって人為的に造られた國家であった。その人口構成は、チェコ人、独逸人、ハンガリー人、スロヴァキア人、ルテニア人、スラブ人、それに猶太人と言う、種々の和合しない、論争好きな國民性を有する民族で成り立っており、それ故に當初から不安定であった。首都のプラハには猶太人が118,000人もおり、その殆どが共産主義者又はその同調者であった。これら、プラハに住む猶太人は、高度に組織化されており、公然とボルシェヴィキのロシアに同調していた。

1938年9月に独逸がズデーテンラントを併合したのち、チェコスロヴァキアは、その人口の多い民族分布の線で周囲の國に領土を分割して、分解してしまった。後に残った前チェコスロヴァキア-ボヘミアとモラヴィア-首都はプラハ、は、完全に防御が無くなり、共産主義者の乗っ取りに対して脆弱になった。この災難を防ぐ為にヒトラーは、ボヘミアとモラヴィアを独逸の保護國とした。

ドイツ悪玉論の神話026
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