私は大戸島で橘宗作と一緒にいた者です。
大戸島玉砕は米軍の攻撃によるものとされていますが、真相は全く違います。  
実は橘は沖を通る米軍艦艇に対し、無謀にも銃撃を加えたのです。
反撃した米軍の攻撃により、大戸島守備隊の若い兵士達はことごとく戦死しました。
その攻撃の間中、橘は責任を放り出し、山中深く逃げていたのです。
大戸島の悲劇の目撃者として私、敷島浩一は一生抗議を続ける覚悟であることを橘と隊を同じくしていた皆さんにお伝えいたしたく、この手紙を書かせてもらいました。