>>792 当初用意した2千台はあっという間に完売、販売店からは連日、「もっとよこせ」という矢の催促が寄せられた。 アメリカ日産の社長として、フェアレディZの開発において中心的な役割を果たした片山豊氏が振り返る。
「アメリカ人は、自由に長距離を移動できるスポーツカーを求めていました。そこで本社に提案したのです」
片山氏は、まずデザインにこだわった。雄大な大地に負けないダイナミックな造形にするために、ノーズが長いシャープなデザインを採用した。
また、長距離をハイスピードで駆け抜けるために、エンジンやサスペンション、ブレーキの強化にも努めた。「日本のエンジニアを呼んで、アメリカのモータリゼーションを経験させるようなことも行いました。実際に経験しないとわかりませんから」
世界中のクルマ好きから「フェアレディZの父」として慕われる片山氏であるが、功績はそれだけではない。