>>786 年間販売台数が1500台だった日産を、アメリカにおける輸入車売り上げ1位のメーカーに引き上げる。
成長期のまっただ中にあった1969年、一台のスポーツカーが発表される。 世界中で熱狂的な支持を受けたフェアレディZ誕生のいきさつを”ミスターK”こと片山豊氏にうかがった。
片山 豊 Yutaka Katayama ●1909年生まれ。1935年に日産へ入社、横浜工場でダットサンの第一号車が完成する現場に立ち会い、大いなる感銘を受ける。
第二次大戦後、当時はまだその意義が認められていなかった宣伝の業務を志願した。
1960年、50歳にしてアメリカ勤務を命ぜられる。在任17年間で、年間販売台数が1500台だった日産を、アメリカにおける輸入車売り上げ1位のメーカーに引き上げる。その功績が認められ、1998年に米国の自動車殿堂入りを果たす。 自動車は、暮らしをともにする馬のような存在なのです。
1970年、当時はロサンゼルスに置かれていたアメリカ日産の本社が、ちょっとした騒ぎになっていた。この年よりアメリカでの販売が始まった「ダットサン・240Z(フェアレディZ)」が爆発的な人気を博したのだ。