>>752 味方から誤射されることもあり、1945年(昭和20年)3月20日には戦艦大和 が哨戒飛行中の紫電改(笠井智一搭乗機)を誤射した[56]。
陸軍機も紫電改を誤射することがあり、笠井は疾風(四式戦)4機に空戦を挑まれ、交戦直前で陸軍機側が気付いたという[57]。
同士討ちを避けるため、知覧町の陸軍基地に零戦五二型、紫電一一型、紫電改が出張して陸軍兵に実物を見せたことがある[58]。8月12日にも友軍地上砲火で3機が被弾、不時着している[58]。
1943年(昭和18年)以降のF6FやF4U、P-51ら連合軍新鋭機の登場によって急速に現実問題化した零戦の旧式化にもかかわらず、
零戦後継機として軍が本命視していた次期甲戦の烈風は1944年(昭和19年)になっても試作途中段階に留まっており、量産配備はまだ先との見積もりであった。