>>728 そこで乙戦(迎撃戦闘機)でありながらも甲戦(制空戦闘機)としても使える紫電改を高く評価した海軍は開発中の新型機を差し置いて、本機を零戦後継の次期主力制空戦闘機として配備することを急ぎ決定。1944年(昭和19年)3月には三菱に雷電と烈風の生産中止、紫電改の生産を指示した[52]。
航空本部は19年度に紫電と紫電改合計で2,170機を発注、20年1月11日には11,800機という生産計画を立てた[52]。しかし空襲の影響で計画は破綻し、川西で406機、昭和飛行機2機、愛知2機、第21航空廠で1機、三菱で9機が生産されたに留まる[53]。 また、紫電改は強風を基に度々改造を重ねた機体故、性能的な陳腐化は零戦より早いと海軍は見込んでいた。
実際に制式採用から僅か3,4ヶ月後の昭和20年5月頃には昭和21年以後を見越した次期主力機の開発が開始されていた。間に合わなかったものの、本機の更なる性能向上型の他に、凍結された陣風の試作再開などが検討されていた[54]。
本機は遠方から見るとF6Fとよく似ており、日本海軍パイロット自身が誤認しかけるほどだった[55]。