紫電改 と紫電   1944年(昭和19年)8月から9月にかけて三四一空が台湾・高雄に進出し、10月にはウィリアム・ハルゼー提督率いる第38任務部隊を迎撃した。10月12日、紫電31機と米軍機60機が交戦し、米軍機撃墜10、紫電14機喪失という初陣であった[31]。
10月15日まで台湾沖航空戦を戦った。11月、三四一空と二〇一空はフィリピンに進出してレイテ沖海戦に参加する[31]。紫電は米軍新鋭機との空中戦、強行偵察[32]、米魚雷艇攻撃など多様な任務に投入され、機材と搭乗者双方の疲弊により消耗していった[33]。1945年(昭和20年)1月7日、三四一空から特攻機・直掩機ともに紫電で編成された特攻隊が出撃した[34]。
こうして三四一空は装備する紫電を全て失い[35]、フィリピンから台湾へ撤退した[36]。