七三一部隊に派遣され「マルタ」を虐殺していた研究者たちの多くは、戦後まったく罪を問われることなく、大学などの研究機関や企業の要職に着きました(内藤は自分の専門の凍結乾燥技術を生かして乾燥血漿を製造する「日本ブラッド・バンク」【後に「ミドリ十字」と改称】を設立します。内藤も含め、創立当初の役員の半数は石井機関の関係者でした)。そして石井機関に全面的に協力した医学界も、その過去を隠蔽することに成功したのでした。