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かつてニューヨーク市内の『ミホ』という日本料理レストランで働いていたことがあった。定職もなく無為の日々を過ごしていた時期に『ミホ』を経営している鈴木サクエという日本人女性と出会い、「それじゃ駄目だから自分の店で働きなさい」と勧誘されたことがきっかげであった。
鈴木はシンディに限らず、シンディのバンド仲間やアーティストの卵といった若者たちを自身の店で雇うなど、積極的に支援していた。鈴木はシンディに「いつか売れる日が来るから頑張りなさい」と激励し続けていたという。この鈴木との出会いがシンディを親日家にさせる切っ掛けとなった。