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洗脳がとける転機になったのは2002年7月から2003年2月にかけて、麻原彰晃の1審に弁護側証人として出廷したことである。「堂々と証言してほしい」という土谷の期待に反して麻原は被告人質問で一言も証言しなかった。「尊師は弟子をほっぽらかしにして逃げたのではないか」と思い始め、2004年頃から教団との軋轢(あつれき)が生じ始めた。

決定打となったのは2006年12月、麻原の1審判決時の精神疾患の兆候が取り沙汰されるような異常行動を記した雑誌記事を読んだことである。「自分が麻原の1審に証人出廷した際、精神疾患の兆しはなく、自分の証言も理解していたし裁判長の反応も気にしていた。1審判決時に精神病を患っているはずがない、弟子達を差し置いて詐病に逃げた」と感じ、麻原から気持ちが離れた[14][3]。