「作品と作者の人格は別」って言ってるのに達郎コメントが矛盾してるんだよな
「作者と作品は別」「作品に罪はない」が達郎の立場のように見えながら最後で自分の人格が嫌いなら聴いてくれなくていいって
そこで作者と作品が一体化され信者のためだけに作品はあると宣言するの