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新・信長公記〜クラスメイトは戦国武将〜#1★1
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0014名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 15:33:55.38ID:CE8quXXcd
1500年ころ、日本人は本当に自由だった

「ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことはきわめて大事なことで、厳格におこなわれる。日本では娘たちは両親にことわりもしないで一日でも幾日でも、ひとりで好きな所へ出かける」
「ヨーロッパでは妻は夫の許可が無くては、家から外へ出ない。日本の女性は夫に知らせず、好きな所に行く自由をもっている」
「ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と貴さは、貞操であり、またその純潔が犯されない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚もできる」


不倫叩きやミソジニー(女性蔑視)による人権侵害が叫ばれる現代にあって、極めて進歩的なある種の女権論者がこの文章を読めば、ここでいう日本人女性の姿とはいったい何のお話なのか、とお怒りになるかもしれない。実はこの文章は豊臣秀吉の時代(1585年)、イエズス会の宣教師として来日したルイス・フロイスによって記された近世日本人の観察像である(『ヨーロッパ文化と日本文化』(原題:日欧文化比較)ルイス・フロイス著、岩波書店)。
0015名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 15:35:22.22ID:CE8quXXcd
 近年、江戸時代を記述する学校の歴史教科書から「士農工商の厳格な身分制度」という記述はきれいに消え去った。歴史学者による江戸期の研究が進むにつれ、江戸時代には前記4区分に代表される厳格な身分制度は存在せず、支配階級である武士以外は(――被差別民を除けば)おおむね横一線に平等であることが明瞭になったからであった。「土地と年貢に縛られた百姓」というのもまったく古い概念で、実際の農民は、農業以外に大工、石工、輸送、金融、小売りなどさまざまな「非農業分野」に携わる、今でいう「兼業農家」が主力であったことが実証されたからである。


 江戸時代を階級闘争史観でみる歴史学は古いものとなり、有名な「村八分」という近世村落における私的制裁も、実際には村落共同体の崩壊が進んだ明治以降にむしろ頻発し、近代以降に後付けされたものであるとの説が主流になってきた。
0016名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 15:41:38.01ID:CE8quXXcd
ほんとの悪代官は、まじめ人間だった!?

seitousikan.blog130.f
c2.com/blog-entry-241.html
0017名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 15:44:25.96ID:CE8quXXcd
悪代官というと、巷のヤクザ者や、悪徳商人と結託し、庶民を苦しめ、陰で人を斬ってしまったり、果ては年貢の代わりに娘を差し出せという非道者というイメージがあるようです。

「越後屋殿、お主も悪よのぉ」
「いえいえ、お代官様ほどでは…」
「ガッハッハ」

悪代官=非情な支配者で、これに虐げられる農民や町人が登場して、それがそのまま武士=斬り捨て御免、生かさぬよう殺さぬようにという残忍な印象にまでつなげられている。

しかし、実際にはどうやら世間の印象と実在した悪代官には、そうとうな開きがあるようです。

どうやら「越後屋殿・・・」の悪代官は、戦後階級闘争主義者たちによって作られたねつ造イメージらしい・・・というのが、今日のお題です。
0018名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 15:47:57.91ID:CE8quXXcd
江戸時代の代官というのは、勘定奉行の支配下で、地方の天領などで年貢の徴収や知行地の石高管理のなどのお役目をいただいた武士でした。
担当地域には、相当な権限が付与されたけれど、実際には、かなり貧しいお侍さんでした。

当時のお代官はもちろん世襲制なのだけれど、幕府の直轄領の代官でも、身分は150俵と最下層の旗本が任命されていました。

150俵というのは、いまで言ったら年収600万円です。
その中から、小者1~3人を雇ますから、経済的にはかなり苦しい。
つまり、お代官さまは、貧しいお武家さまでもあった。
とても冒頭にある絵のような立派な着物を着るような人たちではなかったようです。

そして任期は不定で、数年で交替することも多かった。
交替といえば、聞こえはいいのですが、なかには更迭も含まれる。
0019名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 15:55:59.51ID:CE8quXXcd
どういうことかというと、年貢を収める時期になると、当時の農民は、代官所で、舛(ます)で米を計って米を収めます。

このとき、舛(ます)からこぼれた米は、お百姓さんが持ち帰っていいってことになっていました。
こぼれた米など、お上が徴収したら威厳に関わる、というわけです。

だから、農民は、マスで計って、米を収めるときに、ちょっとずつ、米をこぼした。こぼれたお米は、農家が持って帰てよい。マスは、一升マスですから、こぼれる量だって、けっこうはんぱでない。
手元に残るお米は多いにこしたことはないのですから、これで結構、お百姓さんは助かった。

この“こぼれたお米”が「おめこぼし」で、おめこぼしが多くても文句を言わないお代官様が“良いお代官さま”です。
反対に、お目こぼしを認めないでかっちりしっかりマスの通りに年貢を徴収するお代官は、手厳しい。
だから、「今度のお代官様は、ひでえ奴だ。悪代官だ」と陰口をたたかれた。
どうやら、職務にまじめすぎたお代官が“悪代官”とされたようです。
0020名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 16:01:54.64ID:CE8quXXcd
田も同じです。代官の役目は、領内をくまなくまわり、領内のすべての田畑に、上中下区別をつけて、その収穫予測高を事前に掌握する。

このとき、実際には収穫高の多い上田でありながら、中田として登録してくれたりする。これもおめこぼししです。
お目こぼしが多ければ、百姓は生活が楽になる。だから“良い代官”
そういうズルを認めず、しっかりと取り立てるのが“悪代官”。
0021名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 16:05:08.44ID:CE8quXXcd
もっとも、おめこぼしが多すぎて、極端に“良いお代官さま”に走ると、お上の取り分が減って、中央のお奉行からお叱りを受ける。
そうなると更迭です。
さりとてお目こぼしが少ないと、農民から不満の声がでる。

そのあたりのさじ加減を上手にするのが、お代官という職のむつかしいところだったといいます。

さらに、年貢を過酷に取り立てて農民が逃散したら、当然、年貢の収量が減る。
逃散を招いたお代官は、切腹です。
飢饉で餓死者を出したら、責任をとって罷免です。

いやはやお代官稼業も楽じゃないです。
0022名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 16:07:41.70ID:CE8quXXcd
お代官は、くまなく領内をまわり、すべて・・・すべてです・・・
の田畑の石高を調査してまわり、これを帳面につけます。
そして収穫量の把握をし、中央に報告する。
年貢の徴収をしたら、それを一軒ごとに帳簿につけ、安全に勘定奉行に届ける。

水害が起きれば知行地内の田畑が被害をうけ、収量が減ってしまいます。
だから、そうならないように堤防を見てまわり、補修を指揮し、平素から土嚢等の備えつけの準備の指揮などもした。

火災が起きたら、領内の収量が減るから、火の見櫓の輪番の管理をし、消火桶の備え付けを辻辻に準備する。
0023名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 16:10:30.10ID:CE8quXXcd
これらの社会公共事業には、村々の協力が欠かせません。
人徳がなければ、民百姓に協力してもらえない。
だから自分から進んで村をまわり、領民と接した。信頼関係を築きあげた。
ワイロなんかでゴマ化したら、途端に人々の口に、のぼります。
なにせ人の口に戸は立てられない。
きちんと仕事をして、民との間に信頼関係を築く。
そうでなければ、お代官は務まらない。

そもそも、武家の教えというのは、私利私欲をきびしく戒め、質素を心がけること、また公共性を重視する自己犠牲の精神のうえに成り立っていました。
0024名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 16:12:29.75ID:CE8quXXcd
だから行儀作法には、ことのほかウルサイ。
食事は、必ず正坐。肘を横にはって、あぐらをかいて食事をするなんて、お殿様でも許されない。

目の前の食事は、領内のお百姓さんが丹精込めて作ってくれたお米や野菜です。
だからちゃんと感謝して「いただきます」と領民に手を合わせて、正坐していただく。子供のころからそうしつけられた。

武士は、自ら身を律しなければ、誰もいうことなど聞いてくれない。
聞いてくれなければ、治水も防災もなにもできないのです。
0025名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 16:16:52.04ID:CE8quXXcd
ちなみに教科書では武家を「封建領主」と教えるけれど、封建領主という概念は、西洋のものです。
西洋における「封建領主」の概念は「領地は領主の私有物である」という概念です。

だから国家や藩というものは、領主の私有財産としていろいろな人の手に渡っていく。
土地も領民も、領主の私有物です。

日本における領主は、こうした西洋の「領主」とは、そもそもの成立からしてまるで違うのです。
0026名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 16:17:26.54ID:KXaK8Qd60
この原作漫画、打ち切られてなかった?
0027名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 16:20:20.96ID:CE8quXXcd
農村のことを昔から「村」とか「惣」と言います。
「惣」というのは、村が集まった少し広い地域社会のことです。
これが一つの自治体になる。
その自治体の代表者が、領主です。

戦後の階級闘争史観では、なにやら武家階級は封建領主であり、西洋と同じく領内を征服して私有財産(私腹)を肥やすもの、といったイメージにされているけれど、実はまるで違う。
単なる収奪者や私有財産主では、民の尊敬は集められません。

戦国大名というと、民衆を支配し、厳しく抑えつけたというイメージがあるようだけれど、有力な戦国大名の地域の人々は今でも戦国大名を懐かしく慕っている。

山梨では信玄と呼び捨てにすると怒られます。
“信玄公”と呼ばなければならない(笑)。
0028名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 16:22:17.40ID:CE8quXXcd
戦国大名というのは民衆から憎まれる怖い存在ではなくて、慕われる存在だったといいます。
なぜなら、彼らは、民衆の生活に必要なものだったからです。

地域の平和を維持し、治安を守り、治水や防火を行い、産業を発達させる。
そういうことをやるのに成功したのが戦国大名です。

江戸時代も、そうした戦国大名の伝統を綿々と引き継ぎます。

江戸幕府が270年続いたというのも、決して強い力で抑えつけたからではない。
幕藩体制が、合理性を持っていたのです。
0029名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 16:28:26.84ID:CE8quXXcd
全国の各村には村の組織が出来て、おとな(老、長)たちが、村をみんなで共同して運営していく。20歳前後の若衆が実行部隊になる。

村と村は、惣をつくり、相互に協力して公共事業にあたる。

公共事業そのものは、別に奉行があたるけれど、その保守は代々のお代官がこれにあたります。
そして藩は、それらの総合管理にあたります。

だから若衆の実行行為も、村人としての行為であり、惣の行為であり、藩や国の一員としての行為になる。
たとえ小さな藩の一武士、あるいは農民であったとしても、日本全体の中の一部であるという意識がみんなに共有される。
0030名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 16:32:01.52ID:CE8quXXcd
階級闘争主義に汚染された戦後の歴史家の中には、明治維新以後、天皇陛下の国だと人々を教え込んだと主張する学者もいるようだけれど、メディアもろくに発達していなかった時代に、そんな単純な宣伝で日本中の人々が明治政府に協力することはありえないです。

むしろ、江戸時代からの慣習に、特別な教育をしなくても自分たちは日本全体の中で、ある地域の責任を負っているという自覚があり、明治政府は、それを公共精神として追認したとみるのが正解であろうと思います。
0031名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 16:36:47.04ID:CE8quXXcd
日本人は家族の中で一番小さい者を基準にして、お兄ちゃんとかお姉ちゃん、お父さん、お婆ちゃん、といった呼び方をします。

要するに役割で呼んでいる。名前で呼び合ったりしないです。

役割で人間関係を表現するということは、同時に自分がその役割にふさわしい生き方をするということでもあります。

お兄ちゃんならお兄ちゃんらしく、お母さんはお母親としての役割を果たす。
家庭の中でも役割によって呼び方が変わります。

家の中で個々の役割がちゃんと決まっている。その役割を果たすことが家族の一員となるということでもあります。

お代官さまも役割。家族も役割です。
0032名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 16:40:40.11ID:CE8quXXcd
人はそれぞれの役割をきちんとこなして生きることによって、世の中とつながっていた。
そういう自覚と誇りを持つことが、正しい生き方とされていた。
それが普通の日本人の感覚でもあった。

こうした精神は、ついこの間まで、企業社会の中でもしっかりと生きていました。
0033フランスベッド2022/07/24(日) 16:41:34.62ID:UGBA+OLu0
でも、裏番組であるミスターサンデーに圧勝されるでしょう。
0034名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 16:43:33.25ID:CE8quXXcd
つまり、日本社会が、共同体意識をなくし、いまや完全に個人主義社会になりかわっているといえるのかもしれません。

昔、鶴田浩二の歌に、「産まれた土地は荒れ放題。右も左も真っ暗闇じゃあござんせんか」というのがあったけれど、さしずめいまの日本なら、「育った会社は荒れ放題。右も左も真っ暗闇」と言った方が、しっくりきそうです。

人がそれぞれの役割を失うということは、社会との絆を失うということでもあります。

その先にあるものは、無自覚なわがままの横行と、社会による取締りなのかもしれません。

ほんとうにそれでいいのか。
それが私たちの目指す理想社会といえるのか。
わたしたちはもういちど考え直してみる必要がありそうです。
0035名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 16:46:02.09ID:CE8quXXcd
そして考えなおす前提として、どうも、わたしたちは、戦後の嘘と偽りの自虐史観によって、かなり汚染されてしまっていることに気付かなければならないのかもしれない。

過去を単純に悪と決め付け、眼をそらせるのではなく、真実の目をもって、歴史をもういちど点検してみる必要がありそうです。

悪代官は、実はまじめすぎる中央派遣の貧乏武士だった。

なんだか真実は、戦後の印象操作でかなり変形されているようです。
0036名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 16:48:45.05ID:CE8quXXcd
先人の教え③「戦国武将の治水、治国」
https://www2.dpsol.co.jp/archives/51951838.html

 今から400年以上前の戦国時代、全国各地で戦国武将たちが群雄割拠し、下剋上は当たり前、親子の間でも騙し倒し合う、弱肉強食の何でもありの世界だった…?いいえ、決してそのようなことはありませんでした。戦いの場を眺めおろせるような高地に、手弁当片手に集まった百姓たちが「戦い」を観戦したりするなど、のどかな一面もあったようです。当然、当の戦いの兵士たちが襲ってくるということも殆どなかったみたいです。
 逆に、負け戦側は、時として、これら百姓たちによる落ち武者狩りを怖れねばならなかったようです。豊臣秀吉との山崎の戦いに敗れた明智光秀は、一説では、逃走中の小栗栖で落ち武者狩りの百姓に竹槍で倒されたと言われています。
0040名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 17:27:22.40ID:CE8quXXcd
わたしがバカなわけ 【3S政策・日本人洗脳白痴化計画】
https://plaza.rakuten.co.jp/nishiageocondors/diary/201910030002/

>5. 日教組による偏向教育を公立学校の義務教育として導入させ日本人の思考を変えた

>二次世界大戦終結後においての中央情報局のスパイ
>#協力者(エージェント)であった正力松太郎
>朝日新聞社の緒方竹虎 等のリストがアメリカの情報公開制度で2007年に公開された
0041名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 17:30:11.54ID:CE8quXXcd
聞くに堪えない発言です。確かにテレビに溺れ、浮かれているのは愚かなことですが、そう仕向けていったテレビ会社などに言われたくありません。というか、最初から、洗脳装置としてデビューしていただけで、国民はまんまと騙され続けてきたわけです。しかも、こういう発言をする人は、とうてい日本人には思えませんね。

思い起こせば、日本人を卑下する内容が多くありました。働きすぎだとか、住んでる所はウサギ小屋だとか、電車の中が暗いとか、海外旅行のマナーが悪いし、日本人英語だとか、まだまだ沢山あったと思います。幼心に自分の生まれた国に劣等感を感じ、欧米に憧れを抱いていました。

https://chargepure.com/?p=360
0042名無しさんにズームイン!2022/07/24(日) 18:02:19.09ID:CE8quXXcd
究極の洗脳社会とは、『適度な自由』を与え、お金という果ての無いニンジンをぶら下げ、モノに溢れ、自分さえ良ければいいという個人主義を植えつければ完成だと言われていました。

今の日本の状況はこれと寸分の狂いの無い社会であり、社会的な価値観となっています。

さらに日本が一つにまとまらないようにGHQ戦略により、、反日外国人を大量に動員し、反日国内勢力や政党をつくり、外から圧力をかけ、内部からも圧力をかける。

国内世論が絶対に一つにまとまらないように仕向けました。

日本人とは、本来自分より他者を敬い、後から来る未来の子たちの為に社会は考え、高い技術力を持っていました。

http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-6366.html
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