PAMを製造する住友製薬は、自社の保有していたPAMや硫酸アトロピンを関西地区から緊急空輸し、羽田空港からは自動車でパトロールカー先導の輸送(道路交通法で、緊急車両認定を受けていない自動車でも、他の緊急車両の先導があれば緊急走行ができると定められているため)にて治療活動中の各病院に送達した。PAMは赤字の医薬品であったが、系列の住友化学にて有機リン系農薬を製造していたため、会社トップの決断で「有機リン薬剤を作っている責任上、解毒剤も用意しておくのが責任」として毎年製造を続けていた。

当時、サリン中毒は医師にとって未知の症状であったが、信州大学医学部附属病院第三内科(神経内科)教授の柳澤信夫がテレビで被害者の症状を知り、松本サリン事件の被害者の症状に似ていることに気付き、その対処法と治療法を東京の病院にファクシミリで伝えたため、適切な治療の助けとなった。