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被害者の外来診療を行った。

有機リン系中毒の解毒剤である(PAM)は主に農薬中毒の際に用いられるものであり、当時多くので大量に保管する種類の薬剤ではなかった。有機リン系農薬中毒の治療に必要なPAMの本数は一日2本が標準であるが、サリンの治療には2時間で2本が標準とされることもあり、被害がサリンによるものだと判明すると同時に東京都内での在庫が使い果たされてしまった。そのような中、聖路加国際病院から「大量のPAMが必要」との連絡を受けたに本社を置く薬品卸会社のは、首都圏でのPAMの在庫がほとんどなかったことから、沿線の各営業所および病院・診療所にあるPAMの在庫を集め、東京に至急輸送するために、から社員を新幹線に乗せ、・・の各駅のホームで、乗ってきた社員が直接在庫のPAMを受け渡して輸送するという緊急措置を執った。また、陸上自衛隊衛生補給処からもPAM2,800セットが送られた。

PAMを製造する住友製薬は、自社の保有していたPAMやを関西地区から緊急空輸し、羽田空港からは自動車で先導の輸送(で、認定を受けていない自動車でも、他の緊急車両の先導があれば緊急走行ができると定められているため)にて治療活動中の各病院に送達した。PAMは赤字の医薬品であったが、系列の住友化学にて有機リン系農薬を製造していたため、会社トップの決断で「有機リン薬剤を作っている責任上、解毒剤も用意しておくのが責任」として毎年製造を続けていた。

当時、サリン中毒は医師にとって未知の症状であったが、第三内科()教授のがで被害者の症状を知り、松本サリン事件の被害者の症状に似ていることに気付き、その対処法と治療法を東京の病院にファクシミリで伝えたため、適切な治療の助けとなった。