>>805
鯛をかやの油で揚げ、その上にすった韮をすりかけた天ぷらによる食中毒説が長く一般化されてきた。
しかし、家康が鯛の天ぷらを食べたのは、1月21日の夕食で、死去したのは4月17日と日数がかかり過ぎていることから、食中毒を死因とするには無理があった。
替わって主流となっているのは胃癌説である。
『徳川実紀』が家康の病状を「見る間に痩せていき、吐血と黒い便、腹にできた大きなシコリは、手で触って確認できるくらいだった」と書き留めていること、
および、係る症状が胃癌患者に多く見受けられるものである事実が、その論拠となっている。