1982年9月2日、朝日新聞は ペンネーム通名 吉田清治(本通名 吉田雄兎)という在日朝鮮人が「戦争中に日本軍の依頼を受けて朝鮮人慰安婦狩りをした」という内容の講演をしているという記事を載せました。
ペンネーム通名 吉田清治(本通名 吉田雄兎)は前年から、その講演を各地で横行した。
朝日新聞(朝鮮日報)は彼に目を付けたのです。
ペンネーム通名 吉田清治(本通名 吉田雄兎)は翌1983年、「私の戦争犯罪」(三一書房)という本を出版し、済州島において日本軍の兵士10人と共に泣き叫ぶ朝鮮人女性を木剣で脅し、アフリカの奴隷狩りのように205名をトラックに積み込み慰安婦にしたと書きました。1996年(平成8年)になって 通名 吉田自らが証言は主張を織り交ぜた創作である事を認めたが、『朝日新聞』はそれから数十年もの間、記事を放置した。
同1982年、朝日新聞(朝鮮日報)は「人」欄でペンネーム通名 吉田清治(本通名 吉田雄兎)を紹介しました。
「日本の良心」を標榜し(朝鮮人らしく誇張,ハッタリをかまし)当時発行部数700万部を超えていた朝日新聞(朝鮮日報)が「日本軍が朝鮮人女性を強制連行した」という生々しい捏造された実態を紙面に紹介し、反響は非常に大きいものがありました。
韓国が日本に対し朝鮮人慰安婦への謝罪と賠償を求め始めるのは、これ以降の事なのです。