1995年に監督の王貞治の要請で福岡ダイエーホークスの一軍バッテリーコーチに就任。
選手の起用法を巡って打撃兼守備走塁コーチの高橋慶彦と対立。広島時代から折り合いがよくなかったが選手が目を丸くするほど揉み合い、体調不良を理由に1年で退任、チームも5位に低迷した。


慶彦は北別府や正田とも仲悪かったけど、近年正田とは和解