成人してからも肉体的、精神的に少女のようであったという。また身辺には頻繁に神仏が現れ、会話をしたり、舞を舞っていた。

元々小食であったが、20歳のころからほとんど食事を摂らず、生水の他は生のサツマイモを少量のみ。

排泄物は殆ど無かったという。また汗や垢といったものも殆ど出ず、風呂に入らなくても髪や体はいつも清潔であった。

空気中からとりだす神水は、密封した空の一升瓶の中に人々の目の前で満たしたという。この神水は万病に効いた。別に病人などではなく冷やかし等の目的の者と不治の病人には、神水は授からず、空瓶のままだった。神水(霊水)の色について:赤、青、黄など様々な色があったそうだ。無罪となった裁判所での公判では、茶褐色。1900年(明治33年)7月9日に全国紙新聞記者(大阪朝日新聞)が懐疑の目を向け、目の前で霊水引寄せをしろと要求した。その結果、ひとりでに水が入ったのを認めざるを得ないという結論に至ったという