>>989
ドイツ悪玉論の神話015
https://caritaspes.haten削ablog.com/entry/2019/03/25/032758

アレクサンドル二世、誰の目にも思いやりに溢れ、哀れみ深い人が、1855年、ロシア皇帝に即位し、ロシアにとって重要な変革を実施し始めた。1861年の農奴解放令は、注目すべきものである。そして、良心的な意図を以って猶太人に対する制限も大幅に緩和した。商人、医者、職人などの「役に立つ」猶太人がロシア領内に定住する事を条件付きで許可した。譬え条件付きとはいえ、ロシアの國境を猶太移民に一旦開くと統制し難く、猶太人が大量にロシアになだれ込んできた。猶太人社会が、特にサンクトペテルブルク、モスクワ、オデッサなどで急速に大きくなった。彼らの緊密な仲間内の協力、高等教育の重視、彼ら特有の排他的な仲間内で仕事をして自分達と仲間の猶太人だけ出世するというやり方で、間もなく、医薬、ジャーナリズム、法律、金融、事業経営などの業種を支配し始めた。さらに猶太人は、酒、たばこ、小売業などで、異教徒を排除しながら、徐々に独占形態を達成した。この行動パターンが、ロシア人の間に敵意を生み出し、予測される反猶太主義の波が続いて起こった。猶太人は、ロシアを支配し、搾取するために「國家の中に國家」を築いている、と非難された。