徳川家重は、生まれながらにして身体が弱く、障碍(しょうがい)を持っていました。

そのため言語が不明瞭で、コミュニケーションを取ることが大変難しかったと伝えられています。

周囲の人に理解されにくい徳川家重は、幼い頃から江戸城の大奥に籠もることがほとんどでした。

青年となってからは、酒や色事にふけってばかりの不摂生な生活を送り、学問にも武芸にも興味を示しません。

ただひとつ、江戸時代の武家達に人気があった「猿楽」(さるがく:滑稽な物まねなどを演じる伝統芸能)を観ることだけは大好きで、そればかりだったと言います。