>>733
フランクは自らをツヴィの生まれ変わりと宣言し、フランク主義運動を開始した。ユダヤ人世界秩序を実現する為に。1773年、フランクはツヴィの教えを信奉するサバティアン(Sabbatean….サバタイ・ツヴィの信奉者)であるメイヤー・ロスチャイルドと個人的に面会した。
メイヤーはシャマシュと呼ばれ、彼を育てたラビに個人的に仕え、今日でもチャバドなどのユダヤ人団体から崇拝の対象として扱われてる。
またフランクは、父親がラビで、自身もドイツのバイエルン州にあるインゴルシュタット大学でユダヤ教典法の教師をしていた、アダム・ヴァイスハウプトにも会っている。
1773年、ロスチャイルドとヴァイスハウプトとの会合で、フランクはメイソンのロッジへの潜入についての議題を思いつき、この会合でイルミナティが創設された。ヤコブ・フランクとヴァイスハウプトがイルミナティの教義を作り、ロスチャイルドが資金と人脈を提供したのである。
しかし、そもそもロスチャイルドをウォーバーグ家とともに金の権力に押し上げたのもフランクだった。フランクは自分の信奉者たちにポーランドで多くの資金運用をさせ、その資金をロスチャイルドが王や皇子たちに貸し出す為に必要な種類の資金などの運用に回し、この事業を開始させたのである。