戦前シリアはフランスの委任統治領だったが、フランスはシリア人が一致団結してフランスの統治に抵抗することがないように、シリア国内の諸勢力の対立や分断を利用した。

つまり、シリア人の大多数を占めるスンナ派アラブ人を抑え込むために、少数派であるアラウィー派の住民を軍や警察に大量に採用する政策を取ったのである。

アサドの父親で、軍人でもあったハーフィズ・アル=アサドもアラウィー派の出身であり、戦後のシリアの軍人やバース党員にアラウィー派が多かったのも、前述のフランスの統治政策の負の遺産である。