>>932菊正宗酒造記念館は、伝統的な日本酒の製法や、灘の酒の歴史や魅力を伝える史料館。国の重要有形民俗文化財に指定される「灘の酒造用具」など貴重な資料を展示している。
菊正宗酒造記念館は、伝統的な日本酒の製法や、灘の酒の歴史や魅力を伝える史料館。国の重要有形民俗文化財に指定される「灘の酒造用具」など貴重な資料を展示している。
「人口が急増する江戸では、酒の需要も一気に高まります。それまで酒どころとして知られた伏見や伊丹、池田(大阪府)は内陸のため、港までの陸路にも労力やコストがかかりました。そこに商機を見いだした嘉納治郎右衛門は、沿岸部の灘で本格的に酒造りを開始したのです」(後藤館長)
灘五郷の酒づくりが本格化したのは、寛永年間(1624-1644)に伊丹の酒造家が、海運に利点を持つ西宮に移住したのがきっかけとされる。それに倣って、灘へ蔵を移転したり、酒造業に進出したりする者がどんどん増えた。菊正宗創業者もその一人である。
町人文化が華やかだった元禄時代(1688-1704)頃から、江戸の酒消費量は急激に伸びる。日本最大の酒の消費地へ、上方(関西)の港から大量の樽酒(たるざけ)が船で下って行った。洗練された「下り酒」は江戸でもてはやされ、関東仕込みの「地廻り酒」は「下らない酒」として低い評価を受けた。特に灘の酒の人気はすさまじく、江戸時代後期には江戸市中で飲まれる酒の約8割は占めたという。