>>562
「戦争責任というような言葉のあやについては、私は文学方面についてはきちんと研究していないので、答えかねます」
https://note.com/k2y2manabe/n/nf40cfe64e9b9

昭和天皇の「拝謁記」の報道で、天皇自らの「戦争責任」に関する発言が注目されているが、昭和天皇が公の場(1975年10月31日記者会見)で「戦争責任」について語った言葉が上に掲げたものである。
この発言について、哲学者・高橋哲哉氏と作家・徐京植氏は以下のように語り合っている。
(『責任について──日本を問う20年の対話』から抜粋)

高橋 さらに話がさかのぼることになりますが、昭和天皇の戦争責任について私がどうしても思い出すのは、次のことです。一九七五年一〇月三一日、アメリカ訪問から帰ってきた天皇と皇后が初めて記者会見を行なった時に、記者の中から、「陛下はいわゆる戦争責任についてはどのようにお考えですか」という質問が出ました。このとき昭和天皇は、「戦争責任というような言葉のあやについては、私は文学方面についてはきちんと研究していないので、答えかねます」と述べた。全体としてにこやかな記者会見で終わったということになり、新聞報道でも「言葉のあや」発言はほとんど取り上げられませんでした。当時の新聞をいま確認してみても、『朝日新聞』をはじめとして、広島・長崎について「気の毒ではあるが戦時中なのでやむを得なかった」という表現は見出しになっていても、「言葉のあや」発言の扱いは極めて小さいし、批判もされていません。天皇の名のもとにいったいどれだけの人びとの運命が狂わされたかを思うと、現実と言葉のあまりの落差に目もくらむ思いがします。