薩摩戦国最恐4兄弟と家久の嫡男 島津義弘、島津義久、島津家久、島津歳久、島津豊久
九州をほぼ統一
関ヶ原の戦いで家康の本陣に敵中突破。柴田勝家を落馬させ、家康の4男松平忠吉や井伊直政に
銃弾を浴びせこれが元で後に死去。家康も島津軍の勢いに死ぬ覚悟をしたと言う
関ヶ原後、領地を取られなかったのは島津家のみ
朝鮮出兵でわずか島津軍5000の兵で明・朝鮮連合軍20万をフルボッコ返り討ち、討ち取った首は7万とも言われる
およそ400年後、薩摩の西郷隆盛や大久保利通が倒幕し400年越しに西軍、島津家の仇を討つ
日露戦争で日本の命運を分ける大決戦、当時世界最強と言われたロシアバルチック艦隊を
薩摩の東郷平八郎元帥海軍大将が圧倒的な勝利で日本を勝利に導く