第二次世界大戦で敗戦国の立場に立たされ地理的にも西側の支援の望めないフィンランドは、1948年にフィンランド・ソ連友好協力相互援助条約を締結し、独立および議会民主制と資本主義の維持と引き換えに、ソ連に協力することとなった。

フィンランド軍の装備もワルシャワ条約機構と互換性のある物が採用された(ただし、その義務はフィンランド方面に限定され、またフィンランドはこの条約を口実に軍備を徐々に増強していった)。
また、マスコミにおいては自主規制が行われ、冬戦争におけるソ連の侵略などに対する言及はタブーとなり、電力や天然ガスといった重要資源もソ連に全面依存するようになった。

フィンランド国内では、大統領ウルホ・ケッコネンがソ連からの外圧を自己保身に利用した、という文脈の中で「フィンランド化」が使用された。
フィンランドの元国連大使マックス・ヤコブソンは「もしフィンランド化という言葉が、超大国に国境を接する小さい中立国は、力の現実にその政策を適合させねばならない、という意味に使用されるならば、それに異論はない」としている。

冷戦下は政治・メディアを中心に監視下におかれ、反ソ・反露言動が事実上禁止されたため、フィンランドに重い影響をもたらした。
フィンランドの小説家ソフィ・オクサネンは「ソ連はフィンランドを、ロシアに対する不適切な表現を従順に避ける国になるよう訓練した。そのやり方はいまや私たちの潜在意識に組み込まれている」と語っている。

2022年にフィンランド国際問題研究所のアルカディ・モシェス研究員は産経新聞の取材に、フィンランド化について、「フィンランドはソ連に戦争で大敗し、ほかに道がなかった。あれは小国としての苦渋の選択です」と苦々しそうに答えている。