兵庫県神戸市生まれ[2]。兵庫県立神戸高等学校を経て、早稲田大学第一文学部(演劇専修)を卒業[3]。

1959年東京芝浦電気(株)レコード事業部(のちの東芝EMI→EMIミュージック・ジャパン)入社、洋楽ディレクターとしてスタート[2]。1964年ビートルズの初代ディレクターとなり、訪日時にも担当[2]。その後、邦楽担当となり和製ポップスで数々のヒットを作る[2]。1969年退職[2]。

1970年(株)キャニオン・レコード取締役制作部長就任[2]。1976年退職後、ポリグラム・グループ(現:ユニバーサルミュージック)のチャペル・インターソング(音楽出版社)社長に就任[2]。

高嶋音楽事務所を設立し、J-クラシックスの流れを作る[2]。