>>91
延宝・天和期(1680年前後)から漸増していた心中事件が、この1703年=元禄16年に頂点に達します。
この1年に大坂だけで46組、92人が心中で亡くなったそうです。

 この「流行」が江戸にまで及んできたため、1722年に徳川吉宗は編纂中の「御定書百箇条」に規定を設け、心中を犯罪として扱うことになります。
どちらかが生き残った場合、処刑されるというのは、なかなか厳しい処罰のようにも思います。