画家のプロフィールすげえなw

1946年に日本共産党に入党。

1956年11月、丸木夫妻がアムステルダム留学中、原爆の絵の展覧会を手伝ったことで知り合った香川睦久が留守宅に上がり込み、留守番をしていた母のスマを撲殺。窃盗目的の殺人と見られている。事件発覚後、香川の遺体が神奈川県横須賀市長者ヶ崎で発見されたが、飛び込み自殺したものとされた。

1964年に部分的核実験停止条約の評価を巡り共産党を除名される[3]。