御救米買付
 天保飢饉と救済事業 で述べたように天保7年になると未曾有の食料不足となった。
江戸では米問屋が米を独占し、これを放出しなかったため、米の値段が上がって庶民は困窮を極め餓死者も出て来た。

 食料不足で困窮する江戸町民を救うために幕府は米問屋の独占を廃止するとともに、公儀の御救い小屋を設ける事になった。 
しかし幕府の米倉は連年の米不足ですっかり底をついており、全国各地で米不足が深刻化した。

甲州の郡内では米を求める農民達が大挙して米問屋や役所の米倉に押しかけ、一揆に発展した。