御救小屋(おすくいごや)、現代で言うところの仮説住宅・避難所である。
江戸で火災にあって、避難所がない者のために御救い所というものを作ってそこに収容する。

御救い小屋は鎌倉河岸、数寄屋河岸、土橋河岸、板屋町河岸、両国広小路と大抵は河岸沿いに建てられた。
いずれも丸太によしず張りという粗末なもので、屋根は苫葺き、床には大竹の簀子を張り、その上に荒むしろを敷いてある。小屋の大きさは四間に15間ないし20間くらい、周りを薦張りにして囲っている。

小屋の収容人数はおよそ200人くらいである。
小屋の設営費用はすべて吉原に負担を命じ、いろいろな雑役や炊き出しの手伝いなどは深川、湯島などの岡場所、または夜鷹などに課していた。