>>209の続き
議論だって、多くの人が履き違えているようで、どっちが正しいかを決めようとするから、
それを決めるのが目的だとか結果的にそれが決まるとか思ってるから、おかしくなるんだと思う。

まず最初に、そこにいる皆で一体何を目指してるのか?を明確にして、
そこで合意に至ったら次はそこへ至るための手段・・・という風に議論は進んでいったりすると思うが、
どの段階においても、場の意見が分かれたら、折衷案も含めて何が、全体としてどうあること、どうすることが
その時その場面でその目的のためには最適か?を皆で探るためにするのが
意義ある・・・と言うか、本来の「議論」だと思う。

「何が正しいか?誰が正しいか?」じゃなくて「何が最適か?どうあるのが、どうやるのが最適か?」で考える。
この相対性に支配される世界で、いついかなる場合でも「絶対正しい」なんて物事は無いのだから。