0001渡る世間は名無しばかり2022/06/30(木) 23:30:31.64ID:WycHSrIt
そして、途中は抜かしますが、2013 年に出されたアメリカの診断基準、DSM-5 で性別違和(gender dysphoria)という概念が出てきました。そのときに性別違和自体は、精神疾患の中から外されたのだと思います。それまでは精神的な疾病とされていたのですが、そうではないことになりました。WHO の診断基準の最新版、ICD-11 が今年6月に出されましたが、そちらでも「性別の不一致」というような考え方によって診断することになりました。また、そちらでも性同一性障害は精神疾患から外され、「性の健康に関連する状態」という分類に変わりました。このように今、精神医学の中でも、性別に関することがどんどん変わってきています。発達障害の ASD、ADHD もそうですが、最近出てきた概念に関してはまだまだ研究不足の部分があったり、いろいろと変わっていったりしますので、我々としてもついていくのが大変です。
発達障害と性別違和の関連としては、最近は北米を中心に、発達障害、特に ASD と診断された方が性別違和感を訴え、苦しんでいるというケースに関する報告がふえています。ASD の方が性別違和感を抱くようになるプロセスや、ASD の方が持っている性別違和感に、ASD 傾向、自閉症的な傾向が与える影響もあるのではないかという指摘もあります。これもまだ具体的なものは出ていませんが、何らかの影響があるのではないかと。それについては遺伝子レベルのことも含め、いろいろな研究がされているんですけれども、まだはっきりとしたことが言える状態ではありません。
また、ASD 症状、自閉症的な特徴の範疇として性別違和感を捉えることができる方もいるのですが、長期的に性別違和を訴え、支援を必要とする方が多いということも、いろいろな研究で指摘されています。ですから、恐らく何らかの関連があるのだろうと。ただ、まだまだ研究が足りていないところです。
思春期ケースへの、ASD と性別違和に関するアセスメントや支援のガイドラインをつくっているところもあります。思春期、10 代を想定したものですが、一次性徴、二次性徴など、性別に関する認識やアイデンティティの確立に非常に大事なタイミングにおいて、ASD(自閉症スペクトラム)に対するコミュニケーション、対人関係の支援と、性別違和に対する支援やアセスメントは同時に行う必要があるということが言われています。
このノウハウはまだ広く行き渡っていないんですけれども、教育関係者や我々としては、ようやく発達障害に対する認識が大分広まってきたというところなのですが、それに加えて性別違和についても認識を深めなければいけないということが、現実としてあるのかなと思っています。
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日本では妻が前で夫が後ろを歩く
フロイスは文化の違いを語るなかで男女関係についてもかなり触れている。しかも、ヨーロッパと日本の男女関係を比較してみると、明らかに日本の女性のほうがヨーロッパと比べれば発言権も強いし、社会参加の度合いも高いということが、はっきりと書かれているのである。たとえば、夫婦で町を歩くときに、ヨーロッパでは夫が前で妻が後ろに付き従うというパターンが非常に多い。しかし、日本に来て驚いたことに、日本では妻が前で夫が後ろを歩くという(いわば「レディファースト型」といってもいいだろう)文化になっている。
妻が夫に利息を付けて金を貸す
さらに、フロイスがびっくりしているのは、日本の女性が財産を持っているということだ。財産権の要求は、近代西欧の女性運動においてたいへん大きな課題だった。ヨーロッパの女性は、財産権、つまり固有の財産を持つという権利がなかったからである。だから、フロイスが、日本に来てびっくりしたのは当然だ。日本の女性は自分の固有の財産を持っているのだから。お金を持っているから、夫が困っているときには妻が夫に金を貸すことがある。しかもただで貸していないというのだ。しばしば高い利息を付けて貸している。つまり、夫婦の関係でも、当時の西欧社会と違って、個人と個人の関係がはっきりとわきまえられていたのである。
女性から言い出す離婚がかなりある
女性が財産を持っているから、これも当時の西欧では信じられないことがおこる。女性から言い出す離婚というのがかなりあるというのだ。西欧でも離婚はあるけれども、男性が言い渡す形が普通であったという。 西欧社会では結婚した女性は、夫の許可がないと外出できない。女性は、男性のまさに所有物だったのである。しかし、日本では、西欧社会と異なり、女性は夫の許可など関係なく外出しているので驚いたとも彼は書いている。社会活動の自由ということでは、西欧と日本では少なくとも日本のほうが女性に有利な形で進んでいたのである。
女性がへべれけになるまで酒を飲む
日本の女性はお酒を飲むなどということも書いている。西欧で女性がお酒を飲むことはまずないが、日本では女性がお酒を飲む。お祭りのときはへべれけになるまで酔っぱらう女性もいるなどということまで書いている。
日本では男性が料理をしている
さらに男性にとってはショックなことも書かれている。日本では男性が料理をしていると、彼は書き残しているからだ。西欧社会では調理・料理はもっばら女性の仕事なのに、日本では男性が料理をしているというのだ。上流階級の男性でも、料理を作るために厨房に入ることを立派なことだと思っているという。よく「男子厨房に入らずは古くからの日本の伝統」みたいなことを言う人がいる。そんな日本のよき伝統を守りたい人は、戦国時代の伝統まで復帰して厨房にどんどん入っていただきたいと、ぼくなどは思う。
おれは報復するぜ。
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いったいなぜ、いつから日本は男尊女卑になったのでしょう?
著者は、明治時代の「国民皆兵制」がその大きな理由の一つと書いています。
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うらやましい? 驚き? 意外すぎる江戸時代のマナー「通り名」「銭湯の混浴」
https://woman.mynavi.jp/article/140803-10/
江戸時代では庶民も武士も、本名以外に多くの通り名をもっていました。時代劇などに出てくる、武士が呼び合っている名前は基本的に諱(いみな)で、普段はクチにすることを家族でも遠慮しました。武家など支配階級の人々には基本的に公式文書のサインなどにしか使わない諱(いみな)という名前があったんですね。いわば実印に相当するような名前があったのです。
また、庶民でも各人がその時どきの己のステイタスや、希望に応じて、インターネット社会のハンドルネームに相当するような「通り名」を(自分で勝手に決めて)いくつかもち、TPOで名乗り分けていたのです。
人情に厚い暮らしを営む中には「見て見ぬフリ」をときにはする、ということも入っていました。さらに江戸市中は土地の狭さの問題で(とくに下町の)銭湯は混浴なので、他人のヌードに対しても「見て見ぬフリ」が大事でした。銭湯といえば庶民の交流スペースというイメージがありますが、防火目的から武士の屋敷にも風呂がない場合も多く、身分を超えて人々が出入りしました。 このため、武士といえども威張ってはいられず、大勢の人でごった返す時間帯の銭湯ではしきりに「声がけ」が行われました。「冷えものでござい~(浴槽に浸かる前の身体です。ぶつかったらごめんなさい!)」という、決まり文句などがそれ。
幕末以降に日本に来た外国人は、これらの習慣に心底たまげたようです。たとえば黒船とともに横浜近辺の下田に来港したことで有名な、アメリカのペリー総督。彼は下田の銭湯が男女混浴であり、なおかつ若い女性も平気で裸になることを知って、驚愕しています。『ペリー総督日本遠征記』に掲載された、男女が混浴しているさし絵は「日本人はいやらしい!」との誤解を、当時の欧米人に植えつけてしまったそうです(苦笑)。それも裸や裸の見せ方に対するマナーの違いに過ぎなかったのですが。
和田とか言う奴すげえ痛いなw
役者であってエンタメであってプロだから見た目が良い事は重要な要素なわけで
売れる資質の一つでもあるわけで、「できない子に対して見た目の事言う必要あるの?」ってのは一般職ではないから通らないよw
だからそのパターンに関して「褒めてるからこその差別に気付きにくい」なんて話は論外。ケースバイケースなのになんでもかんでも差別にするな
「あなたは見た目は良いけどできる演技が少ないから使い難い。でも演技できるようになれば売れるよ」
と言われて「見た目の話する必要ないでしょ」とテレビで一方的にイチャモンつけてるヤバすぎでしょw
プロがプロに対して、備わってる資質・才能を言った上で、足りない能力を指摘して応援しただけの話だぞw
プロ野球の投手に対して「あなたは身長2Mあるし160キロ投げるパワーもあるけどコントロールがないから使い難い
変化球複数コントロールできるようになったら大スターになれるから頑張れよ」って言ってるのと何ら変わりないんだよ。
プロの役者、プロのエンターテイナーとして良い所と悪い所を言われただけの話を勝手に差別的だと受け取るなんてプロとしての自覚、厳しさ、本気度が甘い証拠だ
0443渡る世間は名無しばかり2022/07/01(金) 01:34:34.66ID:lJqoHABk
>>438
嘘臭い
これが本当なら歴史上の人物やら将軍やらが女だらけになってるはずだからな ちなみに、肌を見せることに対して、江戸時代の日本人全体がおおらかだったのだ……と考えるのは間違いでして、こんなエピソードも存在しています。
17世紀中盤のお話ですが、三代将軍・家光が亡くなった際、彼と衆道の関係だった(つまり今でいえば、同性婚のパートナーのような存在だった)堀田正盛という武士が、殉死をしているんですね。その時、堀田は「家光様に寵愛された私の肌を、アカの他人に見せたくない」といって、着衣のまま、みごとに腹をかっさばいて果てた……という色んな意味ですごい話が、武士道のバイブル『葉隠』の中には出てきます。もちろん『葉隠』では、それを褒め称えているわけですが、男性であっても肌をみだりに見せないことが、亡き愛するパートナーにして主君への義理立てであり、マナーでもあったんですね。
なんだか裸の話ばかりになってしまいましたが、マナーとモラルは密接な関係があるものです。そしてモラルとは、時代によって恐ろしいほど変化してしまうものなんですねぇ。
ゆるいんだか、ストイックなのか、現代人にはよくわからない。だけどおもしろい、お江戸のマナーのお話でした。
https://woman.mynavi.jp/article/140803-10/ 都市部でも農村でもバリバリ働いていた女性たち
昨今、「女性の社会進出」という言葉が声高に叫ばれるようになってきました。逆にいえばそれまでは「女性は結婚したら家庭に入る」という考えが根強くありました。しかし「専業主婦」という考えが生まれたのはごく近年のことだそう。江戸時代というとどうも男尊女卑、封建社会というイメージが強く、女性が活躍する場などなかったと思われがち。
ところが、人口比率的にも“男社会”だった大都市・江戸であっても、地方の農村や漁村であっても女性は男性に負けず劣らずバリバリに働いていました。
https://edo-g.com/blog/2017/08/womens_work.html/amp ほぼ全家庭が共働き・子どもの有無が問われない時代があった?!江戸時代から見る、令和の女性の働き方
https://part.shufu-job.jp/news/solution/2462/
意外に高かった女性の地位
武家・商家にかかわらず、妻が結婚時に持ち込んだ持参金はずっと妻のもので、夫が勝手に使うことは許されませんでした。
もし使ったとしても、離縁になったら全額返さなければなりません。
現在の法律でも、妻が持ち込んだ財産を離婚時に明確に保持するのは難しいときがあります。
しかし当時は、どの身分にあっても、女性の持参金は女性のものでした。 庶民は性的にも解放されていた
庶民にとって、結婚はしてもしなくてもいいものでした。
当時はキリスト教を主体とした西欧文化の影響が薄かったので、女性の処女性はあまり価値を重視されず、従って性的にも自由。
農村部では夜這いとして自由な性交渉が一般的だったのもその現れのひとつです。
全員が働き、自分の食べるもの、着るものをまかなっていたので結婚しないと生活ができない、ということもありません。
離婚時に夫から妻に与える三行半(みくだりはん。離縁状・離婚届のこと)は『再婚許可証』でもありました。
これが法制化された理由は、離婚後の女性の多くが、再婚を含め、自由な男女関係を結んでいたからだと考えられます。
恋愛は自由
恋愛は自由でした。それは例え武家のように結婚が必須であっても、男性は婚外で恋愛ができました。
またその相手は、異性でも同性でも構いません日本には同性愛をタブー視する習慣はなく、それが起こったのは西洋文化が浸透する明治期以降です。
もうひとつ興味深いのは、遊女との結婚について。
身請け、もしくは年季明けの遊女を妻にする例は少なくなかったと言います。
それなりの遊女には高い教養があり、妻としての資質があると見なされていましたので、結婚後に差別を受けることもなかったようです。
こうした女性は職業柄子どもに恵まれないと言われていましたので、これは当時、子を産むことが妻の必須条件ではなかったことの例でもあります。
現代との共通点、そしてヒント
当時の庶民は、男女共にほとんどが非正規雇用か、自営でした。
つまり男女の別による職業的待遇の違いというものは、現在より小さかったと推察できます。
一方、女中などの女性の仕事は、中間(武家に仕え、警固、供回りなどをする)などの男性の仕事と比べ、給金が良かったという記録があります。
当時も、社会は女性の労働力を必要としていました。
また、経済的にも男性から自立し得た当時の女性は、その気になれば、一人で生きていく事もできました。
現在では女性が働くためのネックになっている子育ても、家族や近隣のつながりの強い当時では、祖父母や、近隣の住人、さらには大きい子どもが小さい子供の面倒をみるなど、様々な手代わりがありました。
こうしてみると、豊かになった現在の方がとても窮屈に思えます。
現代は、子どものいない女性、子育てを人に託さなければならない女性が、圧力を感じる社会になっていないでしょうか。
でもこの考えは、決して日本古来のものではありません。むしろ日本は古来、女性が自分の器量で生きて行けた社会だったよう。
女性にとっての自由や平等は、西欧から来ると思っている人が多いとしたら、それは間違っているかもしれません。明治以降、西欧文化が入ってきてから作られた考えです。
グローバリズムを否定
トランプ大統領は自分の政権のこれまでの業績を自慢し、米国は以前より強く、豊かで、安全な国になっていると強調。米国は世界において独自の道を突き進む権利があると繰り返した。
さらに、グローバリズムの考え方を拒絶し、愛国心を称賛した。「この部屋にいる全ての国が、自分の風習や信条や伝統を追求する権利を、私は尊重する」と述べ、「米国は皆さんにどのように暮らして働いて信仰すべきだなどと言ったりしない。ただその代わり、我々の主権を尊重するようお願いするだけだ」と呼びかけた。
https://www.bbc.com/japanese/45637431.amp >「これはファシズムまがいの思想に満ちた筋金入りの左翼によるエコロジー・ホラーショーだ。世界の左翼エリートの多くが、新型コロナウイルスと気候変動を加速度的に融合しようとしている不穏な傾向がある。ロックダウン、それによる企業の破壊、反対意見の弾圧、外出禁止令、警察の強硬な態度など、パンデミックで適用されたすべての措置が、気候変動に対処するための『新たな日常』になるべきだと多くの人が考えるところまできている」(ディーン氏)
>気候変動と新型コロナウイルスはリベラル左派の主軸である。この2つのまったく異なる現象を融合するというアクロバットこそが、左翼エリート、ひいてはグローバルエリートらが画策している「新たな日常」への橋頭堡だというわけだ。
https://sora.5ch.net/test/read.cgi/liventv/1653695975/739- ロンドン 21/11℃
パリ 22/11℃
モスクワ 23/14℃
北京 29/21℃
カイロ 34/24℃
ヨハネスブルグ 17/4℃
ホノルル 31/26℃
シドニー 17/11℃
バンクーバー 21/13℃
ニューヨーク 29/21℃
リオデジャネイロ 23/18℃
そうした基準が守られていない例として小生が知っているのは岐阜県多治見市である。熊谷市と並んで最高気温日本一の“栄誉”を今まで受けていた。
その多治見市については、このブログの過去記事の中で紹介したが次のようである。
…今は、盆地という地形からそうなると説明されていますが、これは真っ赤な嘘。その昔、ごく普通の気温を記録するだけでしたが、測候所の近くにバイパスができ、アスファルトの照り返しと車の排気ガスが百葉箱に入るようになって、高い気温が記録されるようになったのです。困ったことになったので、測候所の移転話が出たのですが、そんな予算はなく、今日に至っています。これは、単なるヒートアイランド現象なのですが、今では、これぞ地球温暖化だと、うまいこと利用されています。…
高知県・江川崎では、8月10日から13日まで4日間連続して40度以上という、とんでもない高温を観測しました。
もともと江川崎は高温の出やすい所で、参考記録ながら、委託観測所時代の1929(昭4)年7月20日にも、41度の気温を記録しています。
今回の高温は、直接的には高気圧圏内で良く晴れて、沈降昇温が起きたこと、またフェーン現象や谷沿いで風が収束したことなど、複合的な理由が考えられます。
マスコミなどでは高温の理由を一つに限定してしまいがちですが、41度というような突出した高温は、色々な条件が重なった時に起こるものといえるでしょう。
そしてその一因に、外部的な要因もあるのではないかというのが、私の考えです。
温室効果ガスによる人為説を検証するには、都市化していない田舎の観測地点が多いほど良いが、GHCNのデータベースからは、まさに温室効果ガスが問題にされ出した時に、田舎の観測地点がたくさん削除された。
田舎の観測地点の喪失を埋めるため、気温が田舎より最大で2度C高い都市周辺の観測データを田舎にも適用する手法がとられた。この操作(歪曲)を考慮するだけで、温室効果ガスの影響を全く考えなくても、1990年以来の世界の平均気温の測定値の上昇を説明できてしまう。
さらに、都市周辺の観測点が増えたことによるデータの偏向を修正するためと称して、生データに調整を加えることが行われた。気温が高めに測定される都市周辺のデータばかりが残ったのだから、調整は本来、最近の温度を低めにする方向で行われるべきだが、実際の調整は正反対で、昔の気温データを低めにして、最近の気温を高めにする方向、つまり気温が右肩上がりで上昇するグラフを描くのに好都合な方向で行われた。気温が高めに測定される都市周辺の測定地ばかり残し、それを修正すると称して、やるべき方向と逆の、最近の温暖化を捏造する方向の調整を行った。気温のグラフが右肩上がりになり、05年、10年、14年と、何度も平均気温の最高値が更新されるのは当然だった。」
地球温暖化証明の大元のデータがこんないい加減なものなのである。
先に引用したアメリカ在住の科学者が続けて言う。
「NOAAもNASAも源データの公開を一切拒否しています。もはや個人レベルの捏造ではなく、研究機関・業界がグルになって不正を働いているとしか思えません。」
https://gamp.ameblo.jp/docomo1923/entry-12383503075.html